中島義道『不幸論』(PHP文庫)という本
幸福を求めて幸福になれるかどうかはわからない。しかし不幸を求めれば確実に手にできる。
不幸を求めて不幸になったら、ただの不幸だ。不幸を求めて幸福になったら、それは希望通りにならなかったということだ。やはり不幸だ。不幸を求めれば確実に不幸になれる。
こんなことを言ってしまったら、不幸を求めて不幸になることは、願いが叶ったという意味で幸福なのかもしれない。ただの詭弁である。
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藤田尚志・宮野真生子編『家族』 (ナカニシヤ出版)という本
『愛・性・家族の哲学』シリーズの第2巻をすっとばして、第3巻。
家族は一人ではできない。つまり二人以上で可能となるのが家族である。二人以上、すなわち他者の存在から始まるのが家族である。他者と共に在ることを考える上で、家族の考察は不可欠だろう。
戦後、法学者の川島の『日本社会の家族的構成』のように、家族は民主主義と同時に論じられてきた。丸山眞男も例外ではない。民主主義と、戦前、戦時中の家族国家について考えてきた。つまり家族の中に他者はいるのかと。
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『群像』2016年6月号(講談社)という雑誌
2年連続して、たまたま買った雑誌に掲載された作品が芥川賞を受賞した。その作品を目的に買ったわけではない。羽田圭介の「スクラップ・アンド・ビルド」が掲載された『文学界』(2015年3月号)を購入したのは、平野啓一郎と金杭(『帝国日本の閾』で丸山眞男を論じた研究者)の対談が目的だったし、本谷有希子の「異類婚姻譚」が掲載された『群像』(2015年11月号)を買ったのだって群像新人評論賞の発表、熊野純彦の評論が始まったからである。
本書はどうか。『さようならCP』の原一男の随筆に、阿部公彦による平野啓一郎の新刊『マチネの終わりに』の書評などなどあるが、やはり群像新人文学賞を受賞した作品が面白そうだから買った。芥川賞を受賞するかどうかはわからない。しかし私は、世界がまた更新されたことを言祝ぎたいのだ。
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橘川俊忠『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む(仮)』(日本評論社)という本
「すぐれた研究書はそれ自体ひとつの「世界」をかたちづくっています。あるいはそれ自身として一箇の「小宇宙」といってよいものです。古典ともなった研究書は、そこに盛られた知見そのものがたとえ古びていったとしても、なお生きのこります。テクストとしての固有の魅力によって生きのこってゆくのです」とは、熊野純彦が『日本政治思想史研究』にふれて言ったことだ。
本書は来月刊行予定だそうだが、おそらく買う。著者は『日本政治思想史研究』を「有名だが読まれざる著書」と評している。確かに一説によると、それは『ツァラトゥストラかく語りき』、『論理哲学論考』と並ぶほどの「コワモテのする本」らしい(森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』)。
『日本政治思想史研究』に限らず、『日本の思想』(『丸山真男『日本の思想』精読』)も『忠誠と反逆』(「「忠誠と反逆」を読む」)も『「文明論之概略」を読む』(『日本近代思想批判』)も、いずれも丸山の著書を読むことで一つのコスモスを形成している。さて本書はいかなるコスモスを見せてくれるだろうか。第三論文で躓く私には楽しみな一冊である。
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