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本買うゆえに我あり

買っただけで満足して何が悪い‼︎

平野啓一郎『私とは何かー「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)という本

   今回は読了した本について語ろう。本書の「分人」という言葉が目に入り、これだ!とピンと来て買った。似たことを考えていたので、サクサク読み終えた。
    本書の射程はかなり広い。それを物語るように、『ほんとうの構造主義』(NHKブックス)、『集合知とは何か』(中公新書)でも言及されている。
    以下は、ある会報からの依頼で書いた文章だが、送付したところ、何の返事も無くボツにされた。駄文なのだろう。

    「本書の目的は、人間の基本単位を考え直すことである。」それは「『個人』から『分人』へ」の転換、「分人」を「人間の基本単位」にすることです。「分人」という聞き慣れない造語を理解するにあたって、それと対比されている「個人」について見ていきましょう。
 「個人」は、「(もうこれ以上)分けられない」という意味を語源にもつ英語のindividualを翻訳した単語です。何が「分けられない」かというと、身体はもちろんのこと人格も「分けられない」とされます。つまり「個人」という単位の特徴は、一つの身体には一つの人格しかないとするところにあります。そしてその一つの人格こそが「本当の自分」であって、それ以外の自分は「『仮面』をかぶり、『キャラ』を演じ」ている「ニセモノの自分」だとしてしまいます。
    著者は「他人と共に生きるということは、無理強いされた『ニセモノの自分』を生きることではない」として、「個人」の代わりとなる人間の基本単位「分人」を提案します。「分人」はindividual(分けられない)から否定の接頭辞inを省いたdividual(分けられる)を翻訳した造語で、どんな人の前で現れた自分も「相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されて」きた「本当の自分」だとします。「対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である。」
    「分人」から見ると、例えば愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」、「他者を経由した自己肯定」であり、したがって愛し合うとは「相手の存在が、あなた自身を愛させてくれる」と同時に、「あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになる」ことです。また愛する人や親しい人の死が悲しいのは、その人の不在だけでなく、「故人との分人を、もう生きられない」ことにもあります。「訃報の悲しみは、しばしば遅れてやってくる。」

以上