本買うゆえに我あり

買っただけで満足して何が悪い‼︎

『文學界』7月号(文藝春秋)

    今月号はスゴい!表紙をアレントが飾り、特集は「民主主義の教科書」に、評論に至っては、話題沸騰中の「韓国人は司馬遼太郎をどう読むか」、さらに「アラン・レネ試論」。それだけにとどまらず、エセーには荒木優太と、「ベケットの映画、ドゥルーズの映画」。まだ終わらない。神木隆之介宮藤官九郎の対談。今月の文學界はとどまることを知らない。

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佐々木毅『政治学講義 第2版』(東大出版会)という本

    パラパラとめくって気になること一点。旧版の参考文献では丸山眞男の「科学としての政治学」が挙げられていたけれど、第2版では挙げられていない。それが本文にどう影響しているのか、読んでのお楽しみである。

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姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』(講談社学術文庫)という本

    いまさらながら思うけれど、「大日本」というネーミングセンスはどうなのだろう。私が小学二年生のときに、世界で一番大きなクジラの名前は何かと問われて、「大クジラ」と答えたことを思いだす。それぐらい単純過ぎやしないか。
    さて、本書は岸信介と朴正熙に焦点を当てた本で、2010年に単行本として刊行されたものの文庫化だ。それから六年が経つわけだけれど、日本と韓国のトップは二人の孫と子である。「大日本・満州帝国の遺産」をいまだ引き継いでいるのが今日かもしれない。

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三野博司『カミュを読む』(大修館書店)という本

    「世界は美しい」という背表紙に慰められる。しかし、表紙には残酷な言葉が続く、「世界は美しい。そしてこの外には救いはない」と。
    私はつい最近まで『カミュなんて知らない』人間だった。いやカミュと言えば、アルベール・カミュではなく、セイン・カミュである。実は二人は親戚関係にあり、まったくの間違いではないのだが。
    生きるのにカミュが必要だろうか。必要ない。しかし世界を享受するためにはカミュの言葉が必要に思う。世界の中で生きられた時間を過ごすために必要だと思う。

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宮内洋・好井裕明編『〈当事者〉をめぐる社会学』(北大路書房)という本

    私はどうやら勘違いしていたらしい。当事者主体、当事者主体と言う割には、当事者無視が甚だしい人々。一体これはどうしたわけか。
    彼らのいうトウジシャは当事者ではなかった。統治者だったのだ。統治者主体を彼らはずっと言っていたのだ。日本語ってムズカシイ。

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カンタン・メイヤスー『有限性の後で』(人文書院)という本

    訳者千葉雅也の師であり、フランス哲学から中国哲学まで手がける「ヤバさ」全開の中島隆博がその誕生を言祝いだのが本書である。
    背表紙の帯には「事物それ自体の思考へ」とある。それは「事物それ自体を思考する可能性があるということの証明」らしい。カントは「物自体」という言葉を使って、「物自体」は認識できないが、その表面、現象は認識できるといったと思う。つまり有限性の認識である。「有限性の後で」というタイトルは、「無限性の前で」ということである。本書によっては、まだ無限性には至らないかもしれない。無限性に至るための準備運動なのだろう。副題は「偶然性の必然性についての試論」。「試論(essai)」というのは準備運動ということか。
    批評家である柄谷行人は、カントの「物自体」は「他者」であると言った。もちろんそこには「他者」は有限的にしか認識しえないという認識があっただろう。だとすれば、本書は「他者」をも認識しえることをも証明するのではないか。それはニュータイプの出現を予感させる。ニュータイプとは、そうガンダムのそれである。ニュータイプはある瞬間に他者を完璧に認識しているように描かれている。しかしニュータイプの人物の行動、言動がよくわからない、認識できないのは私だけだろうか。

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M・ピカート『沈黙の世界』(みすず書房)という本

    沈黙するとは、お口をチャックすること、つまり噤んでいることを言うのだろう。噤んでいるだけか?
    噤むということは同時に耳をすますこと、思考することでもある。耳を傾けるその先には何があるのだろう。再び口が開かれるとき、それは思考を停止し、思考が放たれるときである。そこから何が飛び出して来るのだろう。
    背表紙の帯には「聖なる無用性」とある。すなわち沈黙とは「聖なる無用性」なのだろう。沈黙といえば、どこか消極的、受動的なイメージがつきまとうが、「聖なる無用性」として語られるところに、沈黙を積極的、能動的に捉えようとする意志が感じられる。沈黙は強いられることではない。強いられた沈黙は沈黙の名に値しない!逆に沈黙に強いてくる者に対しては、沈黙を破って否をつきつけろと言っているように解釈したい今日この頃である。

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